プロフィール

長崎県雲仙市小浜町出身
実家は床屋で、将来は父の跡を継ぐ予定だった。

中学・高校時代は野球に夢中になり甲子園を目指す。
高校生の頃より「身体」に興味を持ち、
ウェイトトレーニングなどの本を読みあさる。
当時のテーマは「如何に筋力をつけるか?」に没頭する。

高校二年生の時、チームメイトが
肩や肘、腰を痛め治療に通うのを見て、
徐々に治療に興味を持ち始める。

特に「痛み」に興味を持つ。

痛みがなければ、またボールが投げれる。
痛みがなければ、またバットが振れる。
痛みがなければ、またグランドに戻れる。
と考えるようになり、

将来は痛みのプロフェショナルになることを決め、

次第にスポーツ選手のサポートがしたいと思うようになる。

高校3年生になった時、父の跡を継ぎの理容師になる予定だったが、
治療系・トレーナー系の資格を調べる中でリハビリテーションを知り
理学療法士になることを決意。

1年間の福岡の予備校での浪人生活を経て、
無事に平成2年4月熊本リハビリテーション学院に入学
(当時は定員20名のところに300名ほどの受験生が集まっていたので奇跡に近かった)

平成5年に卒業し理学療法士になる。
卒業と同時に五島列島の中にある1島1町にある唯一の病院に就職

念願の理学療法士としての人生がスタート。

しかし、当時は島においてはまだまだリハビリテーションの名前すら浸透しておらず、
脳梗塞後の患者さんも状態が落ち着くと長崎や福岡の病院へ転院する始末。

また骨折後のリハビリテーションは同様に島外で行ってくるという始末。

浪人してまで掴んだ理学療法士として仕事。
しかし患者さんや家族は島外へ。
複雑なやりきれない気持ちが
続いていましたが、ここで沈んでしまったらと
片っ端から良いと言われる治療技術を学び始めました。

お陰様でそれから数年で
リハビリテーションは地元の病院でと言ってもらえるようになり、
多くの患者さんがリハビリ室の玄関をくぐるようになりました。

1日に外来50〜60人、入院20名ほどの患者さんが
リハビリ室を毎日訪れ、空いた時間に地域の保健婦さんと訪問リハビリに出掛け、
またある日は特別養護老人ホームへも出かけていました。

地域で、病院で1人の理学療法士だったので小児の理学療法はじめリハビリテーションに関わることは全て行っていました。

院外の活動として小学校などの教育機関や行政とも活動を共に行っていました。

ただふと、気付くとほとんどの患者さんが
もう既に何年も通院しているんです。

何かと症状を見つけては!

これってなんか変?

この氣づきにより、
自分が今行っていることは、
何か違うのではと、疑問が生まれ、

痛みをはじめとする症状を解消することに「変」と思うようになる

患者さんが訴える症状と身体との関係だけではなく、
心理学や潜在意識、脳科学、行動科学などとの関係を
調べていくうちに、その人の持つ癖・習慣、つまり無意識のプログラムを
見直さないといけないのではないかと思うようになり、
当時その習慣に氣づきと言うキーワードを投げかけてくれたのが、
フェルデンクライスメソッドだった。

このメソッドのアイディアのお陰で
日が表現する動きを、様々な視点で観察するようになり、
身体の使い方であるの根源にある「癖」が、その方の人生に多大な影響を与えているかも知ることができた。

それ以来、身体の使い方、動かし方に深い興味を抱くようになり、その体の癖から多くの人は自分らしくいないから様々な問題が起きているのだと考えています。

つまり、”自分らしくいると”はすべての人にとって、最も大切なことであるにも関わらず、残念ながら多くの人は、”自分らしくいること”を忘れてしまっています。

忘れてしまうばかりではなく、自分を窮屈にしてしまいさまざまな健康の問題を抱えている人が多くなっています。

私のこれからの人生は、関わる多くの人に”自分らしさ”を思い出してもらうための活動をしていきます。思い出してもらい、人生を豊かで楽しいものにしてもらいたいと思います。

このブログを通して、自分らしくいることがどれほど素晴らしいことで、その状態で身体を動かすこと、動かせることが、どれ程素晴らしく、楽しいものであるかを思い出してもらえれば幸いです。

自分らしくいることの定義
氣負いがなく、頑張ってもなく、かと言ってダラ
けてもなく、何かを証明することや自分が認められる必要を全く感じておらず、
何かから逃げたりする必要もなく、リラックスしたとてもフラットな状態です。
要するにとても普通(自然な状態)でいること